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​そこにあるもの

本来静寂とは無縁な園内に、小気味いい音と振動が何度も響き渡る。
最後のナットを締め直し、カーン、と金属を通り抜けるような音が鳴った。
点検はこれでひと段落だ。
全国で二番目に古く、二番目に長い木製コースター。
私はこの手のかかるコースターの整備士として、数年前からこの遊園地で働いていた。
木製コースターは整備の難しさに加えて、老朽化によるひずみ、癖が強く一筋縄ではいかない部
品も沢山ある。
万一見落としがあれば乗客の命に直結するため、いつ何時でも責任とは隣り合わせだ。
しかしこのジェットコースターに一目惚れをし、整備士の道を夢見たオタクにとっては、重圧も
愛情のひとつである。


清水 「松平、お疲れさん」
松平 「お疲れ様です」


片付けを終えて休憩室へ入ると、上司の清水さんが労いの缶コーヒーを投げてよこした。
私に微笑む事もなく、清水さんは古ぼけたソファーに腰をかける。
少し離れた椅子に腰掛け、余ったるいコーヒーを口に含みながらテレビをぼんやり見つめた。
『明日は台風が最も接近し、大荒れの天候となる予報です。地域の方は外出は控えてください』
ニュースキャスターが清水さんに負けず劣らずの無表情で台風情報を読み上げていた。
張り付いたようなポーカーフェイスはもはや特技の域で、感情が全く読み取れない。

清水 「見てから帰るか」


ニュースを遮るように立ち上がり、置いてあった道具を腰に巻く。
全く同じ動作を同じタイミングで行うのが面白くて小さく笑うと、清水さんは首を横に降った。
集中の合図だ。
目の前のコースターへ小走りで急ぐ姿もまた同じであることが、私にとっての誇りだった。


松平 「コースターが営業終了?」


台風は進路をずらし、当初それる予定だった遊園地上空を猛烈な勢力で駆け抜けていった。
被害状況の確認のため、臨時休業を余儀なくされた遊園地に集まった従業員が、報告された内容に息を飲んだ。


清水 「コースターが」


清水さんはやっと状況が飲み込めたのか、みんなよりワンテンポ遅れて反応を示す。
台風が引き起こした土砂崩れによって押し出された木々が、コースターの足場を数本折り曲げて
しまった。
そもそも人気も落ち目であり、老朽化によって膨大な手間とコストがかかるコースターを破棄す
るにはいい機会だったのだろう。
ただの老朽化による現役引退より、人々の同情を集められると判断したのかもしれない。
整備士が何を言おうと沈黙を保った園長は、最後に清水さんの肩を叩き去っていった。
途方にくれたままの私たちをよそに、園は次の日から営業を再開した。

子供 「ねぇ、ジェットコースター乗れないの?」


込み上げる感情を押し込めながら車体を磨いていると、ひとりの子供が声をかけてきた。
月に一度遊びにくる少年で、よく知った顔である。
小さく頷くと少年は拗ねた表情を見せ、くるりと後ろを振り返った。

子供 「じいちゃん、今日乗れないんだって」


後から追いかけてきた老人が、しっかりと孫の手を握りコースターを見上げた。
小さく息を飲み込んだあと、声を振るわせる。


老人 「ひどい有様だ」


老人の言葉はまるで悲鳴をあげるコースターの心象を代弁しているようで、胸が引きちぎられそ
うに傷んだ。


松平 「この前の台風で被害を受けてしまって、しばらくは」
子供 「あの木どければいいんじゃない? オレ手伝う!」

 

考えるフリをして少年のまっすぐな瞳から目を逸らす。
上の許可がなければ重機一つ動かすことができない自分はあまりに無力だった。
木々を退かすことができたとしてもその先はどうだろう。
すでに決定している営業終了を覆すのは簡単な事ではない。
だが、でも。そんな子供のような感情がずっと渦巻いている。


老人 「残念です。私もこのコースターが好きですから」


まるで子を愛おしむ親のように、その目を細めて老人はぽつりとつぶやいた。
少年は老人の袖を引っ張り、声を張り上げる。


子供 「じいちゃん手伝ってよ」
老人 「いいか。コースターにはもう乗れないんだ。今回のことがなくても遅かれ早かれ止まる
運命だったんだよ」


駄々を捏ねる少年を老人は優しく諭し、抱きしめた。
大きく見開いた少年の瞳からボロボロと涙がこぼれていく。
少年は、つい先日規定の背丈に追いついてコースターに乗れたばかりであった。

小さなころからこのコースターに乗るのが夢だったと嬉しそうにはしゃぎながら、何度も何度も
このコースターに乗っていた。


老人 「整備士さん、いつも安全を守ってくれてありがとうございました」


未だ泣き止まない少年の頭を撫でながら、老人は寂しそうに笑った。
最後にコースターを見上げ、ゆっくりと立ち上がり少年の手を引く。
辺りの慣れた騒がしさが、一瞬ぴたりと止んだ。

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